古九谷写 桐紋向付

2023年09月09日

9月に入り、暑さ続いていますが、連日の猛暑からは少し落ち着いたようですね。
時折、秋を感じさせる涼しい風が気持ちよく感じられます。

さて、本日は古九谷写の向付のご紹介と、古九谷に関するお話をご紹介いたします。

三代菁華作 古九谷写 桐紋向付 10客 共箱
幅17cm  奥行き12.3cm  高さ2.8cm

<三代菁華> 
1916年(大正5)~1981年(昭和56)
山代温泉にある九谷焼菁華窯の3代目。
菁華窯は初代の手解きによって、北大路魯山人が陶芸を深めるきっかけとなった事で有名。


菱形で、見込みに緑、赤、青の五三の桐紋を配し、周りを黄釉唐草文で囲んでおり華やかです。 
裏面には花唐草紋、高台内に「菁華」の銘があります。
古九谷写として評価の高い九谷菁華の作品になります。本歌よりも少し厚手ですが使いやすい大きさです。

そして今回は、お品のご紹介にあわせて、
古九谷とキリスト教信仰に関する、ある説をご紹介いたします。

古九谷は、領内九谷村での陶石発見を機に、陶産業を企てた大聖寺藩主前田利治のもと、
1655年(明暦元年)頃に開窯したと伝えられています。

近年顔料分析研究の結果、いくつかの古九谷にヨーロッパ由来の顔料が使われていたことがわかりました。また合わせて、制作年は1630年代と判断されました。
この研究と当時の時代背景などを踏まえ、古九谷生産とキリスト教信仰の繋がりについて考察されており、それは、一部の古九谷は禁教令のもと、簡単に幕府に見つからず、信者だけがキリスト教を連想できるようなデザイン、構図をとっていたのではと考えるのです。

また、この説を支える出来事として、1637年3月、有田で日本人陶工800人余りが追放されますが、その年6月、加賀藩は御買物師を有田に派遣します。表向きの買物の裏には、追放された陶工の技術力を活かそうと接触を試みたのではないかと考えられ、そして連れ帰った陶工のなかにいたキリシタンが、前述の暗示を思わせる古九谷を制作したと考えられます。

今回の、桐紋向付の紋様はキリシタン紋様とは直接関係ないと思われますが、ひとつ、古九谷にまつわる説をご紹介させていただきました。

近年の研究によってより強固にした古九谷とキリスト教信仰の繋がり。
これから古九谷に出会った時、「もしかしたらこれも…」と読み解きに挑戦してみるのも面白そうですね。

参考:村瀬博春 「古九谷の誕生に関する新たな視点-新資料の解釈から」