七宝盃
2020年01月25日
東京では雪が降ったそうですね、日記を書く度に降らない雪の話ばかりが浮かびます。
東京といえば、日本橋 海老屋美術店で「海老屋十軒店」の後期が27日(月)から始まります。
お品替えがあるそうですので一度行かれた方も、もう一度いかがでしょうか。
本日は緻密な仕事が表れた七宝の盃をご紹介いたします。
七宝盃(江戸末〜明治時代)
口径 5.6㎝
高さ 2.9㎝
外側は真鍮線と不透明釉による有線七宝、内側には銀を被せてあります。
七宝は丸紋をメインとして配し、それらの隙間を埋めるように渦紋が敷き詰められています。
黒の基調色と真鍮線の金色とでシックな印象がありますが、高台を見るとポンと素朴な白い花が描かれており可愛らしいです。
そもそも「七宝」とは、金・銀・瑠璃・珊瑚・硨磲(シャコ)・琥珀・瑪瑙などの貴金属や貴石の類い、文字通り七つの宝物のことを意味します。
それが何故この技法の名称になったかと言いますと、その鮮やかな色合いに依るのですが、中国では「七宝」ではなく「琺瑯」・「景泰藍(ちんたいらん)」と呼びます。
それではいつ頃から日本で七宝と呼ばれるようになったかと言いますと、その呼び名の初例は室町時代の『蔭涼軒日録』だそうです。
それ以前の呼び名は明確には分かっていません。
古墳から金具が出土するほど長い歴史のある七宝ですが、だいぶ後になって付けられた名称であることに驚きます。
名称が判然とするのが室町以降ですから、技法においても当然謎が多く、明らかとなっているのは明治時代に尾張の梶常吉が独学で開発した、現代七宝の基礎となる技法のみとなっています。
それ以前、現存している江戸時代の釘隠しなどは中国由来もしくは西洋由来のどちらかの技法で制作されたとされています。
お品に戻りますと、こちらの釉薬は不透明釉いわゆる泥七宝と呼ばれるもので、明治以降の濁りのない透明感のある近代七宝とは異なります。
この転換期の辺りは、このような真鍮線を使用した泥七宝で内銀張の盃が多く作られたようで、従って本品もその頃に作られたとも考えられます。
しかし、中国から輸入した古いものに、後になって内に銀を貼ったとも考えられなくはありません。
色々と推測が広がりますね。