藤村庸軒作利休端ノ坊写竹花入
2024年08月15日
残暑厳しく、暑さの疲れも溜まってくる頃ですね。何とか乗り切りたいものです。
さて、今回は竹花入をご紹介いたします。
藤村庸軒作利休端ノ坊写竹花入 共箱
古筆極札あり
江戸前期
高さ61.7cm 径7cm
長い首の部分に蒔絵を施した竹の二重切掛花入で、裏面に「利休端之坊筒之写」、その下に庸軒の花押があります。
今回の花入は窓が二つ開いた二重切の形ですが、この形は利休が考案したといわれています。
1590(天正18)年、利休は豊臣秀吉の小田原攻めに同行したとき、伊豆国韮山の竹を使って三種の花入、「尺八」、「よなが」(二重切)、「園城寺」(一重切)を作り、茶席の床に飾ります。利休以前にも竹花入はあったうようですが、意匠については利休が立役者となり、以後、竹花入の様式が広がっていったようです。
さて、「端坊」についてですが「端坊」とは利休作二重切竹花入のうち、特に細長い花入を指します。利休が秀吉の大徳寺御成りに随行した帰途に千本端坊(利休の門人)に立寄り、その所望によって切ったと伝えられています。端坊から彫金師後藤小斎が入手、江岑宗左、随流斎宗左…と渡り、のち小笠原忠苗(豊前国小倉藩5代藩主)が所蔵。藤村庸軒の書付が伴います。
【藤村 庸軒 1613年(慶長18)〜1699(元禄12)】
江戸前期の茶人。号を微翁・反古庵。俗称十二屋源兵衛。久田家の一族。初め藪内流の茶を学び、次いで小堀遠州、のちに千利休の孫宗旦に学び皆伝を得る。宗旦四天王のひとり。儒学を学び、漢詩を作ることを好んだ。(『庸軒詩集』が1803年刊行される) そのため庸軒好みの道具は漢詩に因んだものが多い。また茶杓や竹花入など茶道具の製作も行った。
庸軒の兄、本間利兵衛(久田家2代・宗利)の妻は宗旦の娘・くれ、息子は表千家5代随流斎であったといいます。庸軒自身も宗旦に師事したこともあり、庸軒と表千家とのつながりは深かったようです。
また「茶話指月集」という本がありますが、これは庸軒が宗旦から聞いた利休に関する話を忘れないようにと書き留め、のちに久須見疎安(庸軒の娘婿、宗旦の弟子)が編集し、出版したものです。利休の言動、茶会、茶室、茶道具などについての逸話が多く記されています。
「写し」とは辞書に「原品になぞらえて造ったもの」とあり、一見単なる真似かと思いそうになりますが、今回の庸軒の作のように、そこには原作者の心に迫ろうとする姿勢が含まれているのだと感じます。
<参考>
『茶の湯の銘大百科』淡交社 2005年
『角川茶道大事典 普及版』角川書店 2002年
『茶道具の世界9 花入』淡交社 2000年
『現代語でさらりと読む茶の古典 茶話指月集 江岑夏書』谷端昭夫 淡交社 2011年